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老いの孤独も楽しく 小杉小二郎 [歳とること]

洋画家の小杉小二郎(72歳)
日本大学工業デザイン課を卒業後、中川一政に師事。70年に渡仏して30年間滞在、絵の修業に明け暮れる。

「毎日描いています。朝4時から6時までやって朝食をとってひと休みし、9時から午後4時まで描くんです。勤勉です。これが仕事だから『勤』には違いないけど、『勉』じゃなくて『遊』に近いかな。5,6歳からずっと描いていて、ちっとも飽きない。楽しいんです。」

【元気に生き抜くには、人との比較を一切やめる】

「それでも絵を描くには舞台の演出家のような、いろいろな段取りが要るので老いを意識する暇はありません。僕は風景や人物も描きますが、中心は静物。創作意欲を刺激する題材や小物を探し回って主役と脇役を決め、集中して絵筆を動かす。体力勝負の消耗戦。楽しくないと命を縮めます」

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設計活動26年間、一つの大きな出来事 [設計の仕事]


今日2016年7月24日、3月からブログを書く気にならなかった。やっと、私の人生の歩みを残す気になった。
人生の大きな衝撃というか、今から考えると設計活動での大きな出来事のひとつ。独立設計活動を平成2年7月はじめて、色々あったが建築一本の26年間だ。

この大きな出来事は、2016年3月2日午前8時5分、仕事を紹介してくれた人からの電話で、はじまった。途中の設計監理の解約、5500㎡のビルの設計監理とそして、基本設計が終わっている1600㎡のマンションの実施設計と設計監理の2つの仕事を同時に失った。私の最後の仕事と思い、がんばっていただけに寂しい。
理由は、施主の世代交代と私が英語が出来ない、コミュニケーションが出来ないこと。
これは理由にはならないと思い、建築士会の弁護士とも相談したが、今までの設計料を支払っていないわけでもないので、裁判にしても、問題視されない。
残されているのは、四会連合協定 建築設計・監理等業務委託契約約款の第24条(設計業務、調査・企画業務における甲の中止権)によるもの金銭的な解決だけだとのことだった。

先日、やっと金銭的に解決した。設備、構造とお世話になった方にも支払いは終わった。竣工後に約束の2割は残っているが、これの入金を頼りにしては、私の人生がもったいないと思っている。
まだ、完全には気持ちは解消していないが、考えてもしょうがない。
そして、この解約を機会に25年間の事務所を引越しした。家賃が10万円から6万円の減額だ。自宅に籠ることを言われたが、これは70歳になってから考えることにした。

そして、事務所維持の固定収入のために、4月1日から新しい職場で働きはじめている。この頭の気転も
妻の助言によるところが大きい。そして、新しい職場も4ヶ月が終わろうとしている

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スペイン マドリッドの広場調査 [60歳からの旅]

スペイン旅行マドリッド」 マヨール(大きい)広場と小さな街路の調査
街を読むのは面白い。都市は、経済と相関性を持ちながら、細胞が外に外にと成長するように広がる。

初期のマドリッドの街は、決して現在のような大きな都市ではない。マドリッドの前の首都は、今なお城壁に囲まれたトレド(1200m×1200m)、だから当時は、ここよりは小さな都市だったはずだ。また、トレドは、河に囲まれ、成長できない環境のために中心都市は移行したのだろうか?

【マドリッドの都市網】

現在もマドリッドの中心駅は、地下鉄のソル駅。この駅を中心にして路線は組まれているようだ。地下から地上に出る。周辺「プエルタ・デル・ソル」、“太陽の門”。つまり、都市の一つの入り口に相当する。城壁は残されていないので、はっきりしたことは分からないが、“都市はどのように築かれたのだろうか考えながら、地図をよく見る。周辺の整然とした街路の中に、不自然な網のような形状をした街路のある、マヨール広場を中心にした都市が見えてくる。

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【歴史的な街の構成】

初期の街を二分して東西に走るマヨール通り。そして、ほぼ中央にあるのが、マヨール広場。
初期の街は、900m×1300m。街路は迷路のような、イスラムのカスバを思わせる街路が“歴史的な街区”を構成している。迷路ののようが街路が成長をくり返しながら、現在のような大きな都市に発展した。トレドとほぼ同じ広さ、初期のバルセロナの1200m×1200mよりは小さな街だった。と考えると大きな都市のマドリッドを見学するのも愉しくなる。私の「60歳からの旅」は、全てを見学するのでなく限定した小さな旅日記。

【マヨール広場】

マヨール通りから少し中に入ったところにあるのが、街区の中心は「マヨール広場」。
さて、測量レザーとカメラとスケッチブックを出して調査をはじめよう。

広場に入る。中央には、この広場を建設した“フェリッペ3世”(1598~1621)の騎馬像とその像を象徴するように4本の街灯がある。レーザーで広場を測ったら、広さ74m×121m(アーケードは奥行き4.5m除)あった。私が持っているレーザーの測定器だと、距離的には2度~3度で測ったので、あまり正確でないかもわからないが、昔歩測に比べれば相当に正しい数値。
日本のガイドブックには、色々な広さを記述しているが、私の方が正しいだろう。

広場の特色は、矩形の形と統一した水平ライン(4階建ての建物の屋根のライン)の高さが18m。比率は1:4でかなりの開放性のある広場。広場は、それほど目を引き様なものはないが、私にとって面白いと思ったことは、2つある。

一つは、この広場に流れ込む10本のアプローチがあること
日本のガイドブックには、9本の街路が広場に‥、と書かれているが、それは間違っている。正確には10本のアプローチ。1本はプライベートのような街路(鉄扉がある)で分かりにくいかもしれないが、潜り抜けるとマヨール通りでる。10本のアプローチが、それぞれ特色がある。非常に楽しい、趣があり、意味がある街路。

もう一つは、広場の下が、公共的に有料パーキングに使われていること
時代的には画期的な事だと思うのだが。有効利用をしている。建物の屋上が、都市の広場として機能している場合(イタリアのグッビオのシニョーリア広場)もあるが、非常に珍しい。

というわけで、10か所全てのアプローチを帰国前の、午後6時までの4時間ほど掛けて調査をすることにした。
結構忙しいかった。


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17世紀前半、建築家ファン・ゴメス・デ・モラによって、現在の5階建ての集合住宅に囲まれた広場がつくられたそうだ。18世紀末に大火災があったが、原型を元に、19世紀半ばに完成。9つのアーチを持つ4階建ての現在の形になった。

それだけでは、実測する気がしない。しかし、非常に興味を引き点がある。
1:広場の下は駐車場に使われている。

2:興味の魅かれる9カ所のアプローチ+1(個人的なアプローチ)の10箇所がある。
その中でも、最も個性的な門と知られている「クチリェロス門」からだろう。

1)マヨール通りから入る幅8.5m駐車のアーチのアプローチ1‥地下の駐車場に入る
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2)アプローチ2‥太陽の門から「斜めにアーチのアプローチ2」、幅7mの情緒ある街路

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3)アプローチ3‥地下の駐車場に入る人の静かな「アプローチ3」

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4)アプローチ4‥東から「斜めにアーチアプローチ4」、軸線のある街路
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5)アプローチ5‥段差のある幅7.5mの「控えめなアプローチ5」
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レストランとが道路を占めている


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6)アプローチ2‥太陽の門から「ダイナミックな遠近感のあるアーチアプローチ6」

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7)アプローチ7‥階段、段差5.3mのある「裏道のようなアプローチ7」、情緒ある街路

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8)アプローチ8‥アーケードのあるアーチアプローチ 噴水のある広場とマヨール広場を結ぶ


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66歳のマドリッド スケッチ旅行 [60歳からの旅]

《66歳のスケッチ旅行

今回の旅行のために、12月31日の午後と元旦以外はいっぱいまでしっかり働いた。3日午後8時過ぎに家を出る。飛行機は、はじめてのカタール航空会社。少し心配したが、全く問題ない飛行機会社。
時間通りに、羽田を出発。機内は少し狭いかなと思った。機内食は、好きでなかった。スチュワーデスには日本人もいたので、アラブ語で話されたらと心配はしたが、少し安心。安全な操縦だった。隣の席の人は、日本人、ドイツに行くスポーツ選手だった。カタールは機内持ち込みの荷重制限が良いので、この会社を選択したそうだ。無事ドーハの飛行場に時間通りに4、朝6時30分に着く。

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最初のスケッチ


ドーハでは、6時間の待ち。久しぶりのアラブの国、35年ぶりだろうか。ここは、過去と現在がミックスしたような混沌とした社会のような雰囲気だ。外を見ると、すごい400m超える高層ビルが見える。のんびりとした時が過ぎた。午後1時、定時にマドリードに向かった。

1月4日、時間通りに午後7時30分、バラハス国際空港に着く。
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人の流れに任せてシャトルに乗り、税関を通る。飛行場から地下鉄を利用して、ソルの駅に着く。小雨の中を歩いて、午後9時過ぎに予約したオスタルマヨールに無事に着く。“ホテルは駅から2~3分程度で良かった。”まだ、外は賑わっていたが、散歩する元気もなく、スーツケースなど整理してシャワーを浴び、就寝した。

1月5日「AVILA」見学
起床したのが午前4時、5時から部屋を実測。小さな部屋12㎡(3.15×3.9m)、交通の便だけ考えると、ここを選択したのは間違いがなかったようだ。マドリッドの中心とも言えるソル広場。広場の下にあるこの駅を中心に地下鉄は構成されている。

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一泊9000円、食事なしのホステル3つ星


さて、観光の初日は市内観光を予定していたが、外は真っ暗、雨はやんでいた。思ったほど寒くない。日の出は8時30分、時間がもったいないので、「城壁都市のAvila」に行くことにした。
ガイドブックでバスの発着場を探して、ホテルを出る。観光のはじまりはまず、チョコラーテの店で朝食することだ。偶然に、これはと思うバール(ChocoSanGines)を見付けた。

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こんな早くから、お客で賑わったいた。24時間営業しているそうだ。先ずは、チョコラーテとチュロス(4ユーロ)で朝食を済ませた。そして、駅で地下鉄・バスの10回券を購入。それから、地下鉄Chamartin駅に行く。電車にするかバスにするか迷ったが、ここから8時30分発のバスに乗った。マドリッド(海抜650m)を出ると、建物はなく岩石、石だらけの平地が続く。

【Avilaの街】

小山を超えて、アヴィラ(海抜1126m)に近づくに従い、寒くなり、雪が降ったり止んだりの天気。着いたのが10時。アヴィラには、40年前に一度だけ訪れた。まったく覚えていない。駅でハムとパンを買う。歴史中心市街地をどこにあるのか尋ねながら、バス駅から徒歩で20分ぐらい掛かっただろうか、やっと、保存地区に着いた。


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寒くて、冷たい風が吹く中でふるえながら書いた








城壁の広さは940m×500mぐらいのこんもりとした小さな街。城壁が完全に残り、分かり易く、美しい街並み。大聖堂から櫛を差すように伸びた中心を抜ける東西軸の道を歩く。中心の商業広場はあるが、通り抜けて、西の方に、ゆっくり下がって行く。城壁と一体で築かれた看視道を歩いている観光者が見えたので、上がることにした。
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大聖堂から櫛を差すように伸びた中心の東西軸


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看視道に上がり、観光ルート(5ユーロ)から見学。ここから見る景観は、街全体が模型のよう、城壁を取り巻く風景が美しい。観光客と話をしたり、写真を撮ってあげたり、撮ってもらったり、スケッチしたりの観光だった。天候は雪が降ったり止んだりの不順な天候、寒くて、‥もっとゆっくりすればよかったが、今日が観光の初日のためか、気持ちがまだ、落ち着いてないためだろうか、と思った。

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食事をすることもなく、午後1時20分の電車でマドリッドに帰った。3時間の観光だった。
ホテルに午後3時頃戻り、小休憩。明日6日から9日までの小旅行、トレドとセゴビヤの計画を立てる。

まず、マドリッドに9日から2泊する予約したホテルの確認に行った。場所は最高に良いのだが、狭い階段を上がり、ホステルのフロントに行った。どうも、ここに少旅行の間、荷物を預けるのはどうも気に入らなく、ホテル変えることにした。

ほぼ同じ料金の三ツ星のホテルを見付けて、予約したホテルをキャンセルした。
荷物を預かってもらえることを確認して、市内観光を続けた。

マヨール広場に行った。新年の様々なイベントに使われ、ざわめいていた。広場のアーケードには、様々な専門店、古い店が並ぶ。ここはマドリッドの中心、マドリッドの核になっているようだ。広場中央にフェリッペ3世(1598~1621年、広場の建設を命じた人)の騎馬像がある。

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1月6日「TOLEDO」見学

暗い中、ホテルを6時40分にチェックアウトをし、9日から宿泊の新しいホテルに荷物を届けに行った。チョコラーテの店に行き朝食。地下鉄でMendez.Alvaro駅に行く。10時発のトレド行きのバスに乗る。満席の混み具合、隣席は韓国人、21歳の若者だった。イタリア語、英語の会話で、あっという間の1時間が過ぎた。
どうして、トレドに2日間泊まるのか不思議がっていた。(観光をしてみて、2日でも足らないと思った。)
バス駅に着く、歩いて15分ぐらいだろうか、目的のHotelcarlosⅤ(50ユーロ)に行く。価格のわりには良かった。

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ホテル三ッ星 8000円 12㎡ (3.13×2.8m+1.5×2m)

市内見学、小降り、降ったり止んだりの中の見学だったが、良かった。

「城壁都市 トレド」
この都市の成り立ちも面白い。マドリッドが首都となる前のキリスト教国の首都だった。
1.4km×1.2km、東、南、西を崖とタホ川に囲まれた城壁都市、北東と南西の中心の街路はあるが、起伏があるために分かりにくい街路になっている。これも防備のためか、カスバのような街路、イスラム文化が入り混じった街づくり。地図もなく、見学していたら迷ってしまった。街路は上がったり下がったりの起伏。行き止まりだったり、人に尋ねた。私以外に迷っている人を見かけた。地元の人に尋ねたら、ソコドベール広場が街の中心だと言うことが分かった。
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と言うことで、一日目はただ散策するだけの一日だった。スペイン人と日本人の夫婦で経営するレストランを見付け、安心して食事が出来た。翌日のランチも同じ店に入った。歩き疲れで、風呂に入り直ぐに寝た。


1月7日 市内見学
≪トレドはスケッチをするのに最高の場所だ≫
朝早く、4時30分頃に起きて、部屋を実測。そして、見学に行く前に、支払いを済ませる。午前7時30分にホテルを出る。チェックアウト12時前に帰るので荷物を部屋に残し、見学に行った。城壁を中心に見学、サン・マルティン橋、Bisagraの門とCambronの門のスケッチで時間は過ぎて行った。

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Bisagraの門


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San Martin橋


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Cambronの門


そして、妻と訪れた思い出のエル・グレコ美術館。
スペイン夫婦で写真を撮っていたので、私から撮ってあげましょうか?と言って、私も撮ってもらった。スケッチをしたりの小降りの雨、晴れたり降ったりの変な天気だった。

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トレドの喫茶店で、楽しそうな夫婦を見かけた







午後2時45分のバスで、今回の旅行の目的地でもある1か月前の誕生日を迎える場所【パラドール・デ・トレド】

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に行った。すばらしいホテルだ。室内、外観は大人しいが、景観、周辺の地形、歴史を感じさせる地形・景観。
朝、夕食付で22000円(172ユーロ)
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奥行き1.8mのバルコニー、ここから見るトレドの街も素晴らしい。
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アルカザールとカテドラルが浮きがって見える


今日は誕生日1か月前の記念すべき日。でも、1ヶ月前と言うのはどうも
ゆっくり、夜8時30分からの夕食を待ちながら、実測したり、ベランダからトレドの街を眺めながらの裕福な
時を過ごした。夕食は、軽食ではあるが満足、満足な一日が過ぎた。


1月8日「SEGOVIA」見学


今回の旅行ではじめてのホテルでの朝食。朝食前、朝食後チェックアウト前に建物周辺を散歩したり、中世のまま残された場所、岩山の上まで出かけたり、日本人の親子との会話も楽しんだりの短い3時間がゆっくりと過ぎっていった。

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帰りもバスでと思ったが、12時までないとのこと。タクシーで、駅まで20ユール。
駅に行くという台湾の夫婦に同乗させてもらうことにした。
半額払うのでというと、“必要ない”とは言ったが、お金は大切にするものだと伝えて
同乗させてもらった。駅まで10分ぐらいだった。12時25分発の電車、1時間待つことになった。

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北東にあるロッカ(城)側からトレドの街を見るのも面白い。

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見学「セゴビヤ」


トレドを12時25分発、マドリッドに13時着そして、マドリッド14:40分発の電車でセゴビヤ15:07分に到着した。警戒のための荷物のチェックに時間が掛かり、出発が10分ぐらい遅れた。セゴビヤに着いたのが3時15分頃。下車した人たちが走っていたので、バスの乗り継ぎの関係かと思い、私も走った。おかげでバスに間に合った。街まで10分ぐらいか、終点だった。そして、予約済みのホテルまで歩いて、10分。少し離れているとは思ったが、目的の見学アルカサルに、近くてよかったようだ。今日も小降りの日だ。

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三ツ星ホテル 7800円 4m×3.5m、屋根裏、低いところで1m以下


「水道 セゴビヤ」は、1.3km×500mぐらいの小さな街だ。ローマ時代の水道と妻と訪れたカエサルの見学

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1月9日 マドリッドに帰る
8日の夜から雨が降り出した、翌日の朝4時も雨が降り続いた。6時30分に雨が止んだ。外は暗いが、7時10分にホテルを出た。

アルカサルを下の街から見たくて、急勾配の小道を下りて行った。薄暗い中を歩いて行く。岩の上に建つアルカサルのスケッチに良い場所を見付けた。スケッチするにはまだ暗い。周辺を散歩しながら、時間を費やした。

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今日は土曜日。マラソンの準備している人たちが数人行き会う。“お早う”と、みんな気軽に挨拶をする。旅ではないと味合えない光景だ。

少しづつ明るくなる。薄暗いときに見えなかった場所、箇所が次第に見えてくる。
とにかくすごいお城だと思った。そして、美しいロマネスク教会を見付けた。教会には入れ時間はなかった。

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昨日、城内から見て気になっていたロマネスク教会


急いでホテルに戻る。先に支払いをして、チェックアウト12時前に戻ることを約束して、水道を実測に行く。
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12時前にホテルに戻り、荷物を整理、3時に再度戻ることを伝えて、再度待ち見学をした。そしてホテルに戻りバス停に行ったが、3時45分発のバスは遅れて、次は5時15分とか言われたが、更にバスは遅れて、切符を買うのが大変だった。ここでもスペイン人に助けてもらった。マドリッドに着いたのは、午後5時頃だった。

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現地で見つけた三ツ星のホテル 78ユーロ


予約していたホテルに行く。荷物を整理をした。そして、今日、土曜日は無料のプラド美術館(午後6時~8時まで)とのことで、急いで行った。たくさんの人が並んでいた。まだ、1時間かかるらしいと言うことで、並ぶのを止め、アアルト展示館に行った。そして、何を食べたか覚えていないが、適当に食事をしてホテルに戻る。


1月10日 見学「エルコラーノ」

朝、5時に起き、朝7時にホテルを出て、少し行くのは迷ったが、Moncloaのバスターミナルから午前8時発のバスで、エル・エスコリアルに行った。9時頃に着く。世界遺産の修道院は午前10時からだったので、喫茶店で時間をつぶした。今日は一日、小降り雨が続いた。

当地でコックとして働いている日本人がいた。2つのレストラン働いているそうだ。喫茶店のオーナーから聞いた。イタリアのガイドブックに当時のチケットがあったので、40年前に妻ときたことも喫茶店で話した。

エル・エスコリアル見学
タペストリーに織り込んだ絵画のような美しさにはびっくりする。でも、あまり見学するほどでもない。アヴィラの街にもう一度行こうかと思ったぐらいだ。12時のバスでマドリッドに帰った。帰りのバスには、同じバスの人がたくさんいた。1時頃、バス駅に着く。半日コースの見学だったが、建物の見学より、色んな人の出会いがあったので、日本人、中国人夫婦などの出会いが楽しい。
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一度ホテルの戻る。スペインの高層ビルを見学しようと、ガイドブックを見せながら探した。近くまで、電車で行った。後は徒歩、雨、風とビル風で床から飛び出した大理石に足を取られて、転んだ。痛かった。荒々しい出来栄え、高層ビルを見るなら、やっぱり日本が良い。納まりもきれいではなかった。室内の冷たさ、大まかなデザイン。目地など。学ぶものは無いような気がした。
帰りは、バスと電車で

1月11日 最後の日 マドリッド見学


朝6時30分、支払いを済ませて、チェックアウト前に帰ることを伝え、観光、チェックアウト前にホテルに戻り、荷物の整理をして、荷物を預かってもらい、午前中は、モジュリアーニ、モネ、ピカソの絵など3~4点だけ見て、午後1時30分頃から広場の調査、スケッチ実測の作業を午後6時までした。

飛行場で果物ナイフを取られた。こんなに小さなナイフで、人は刺せないと言ったが、ダメだった。航空会社に相談するように言われた。バックを機内に持ち込まなければいいと言われたが、東京で取り出せなかったら、また時間が掛かって、採集に間に合わなかったらと思い、カンタスの女性に有名なメーカーのナイフなのでプレゼントをしますと言った。
無事にドーハに着き、2時間の待って、乗継をして時間通りに羽田に着いた。無事に当日自宅に帰った。そして、4時間の睡眠をして、施主の打合せに出席した。
果物ナイフ事件で、お土産は全く買えなかった。ただ孫の物だけになってしまった。

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60歳からのひとり旅Ⅵ スペインのマドリッド周辺 [60歳からの旅]

《60歳からのひとり旅Ⅵ マドリッドと周辺 》


今年、66歳の目的地はポルトガルのポルトだったが、仕事の都合と航空運賃を少し考え、マドリッドに変更。出費は、いつも通り25から30万円を予定したスケジュール。

出費の内訳は、航空運賃は78000円 、宿泊費は80000円、現地での交通費・食事・お土産などで約80000円合計25万円の出費。そして、仕事の都合で誕生日より1カ月早い、1月4日~1月12日までの9日間の旅行

1月4日 羽田からカタール航空を利用し、0時15分発、 ドーハに午前6時30分,時間通りに到着。
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乗り継ぎ、ドーハのハマドの飛行場から6時間後、スペインのマドリッドに着いたのが、時間差の関係か同日の午後6時40分の予定が、一時間の差の午後7時40分に到着。そして、ホテルに着いたのは、午後9時15分だった。シャワーを浴び、荷物を整理しベッドイン。今日からマドリッドに2泊。

1月5日 初日は、市内観光を予定したが、朝早く、バスでアヴィラに行く。3時間の市内見学をし、電車で午後3時頃、マドリッドに帰る。そして、少し市内散策。
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1月6日 トレドに行く前に、マヨール広場中心に市内観光、9日から宿泊するホテルにスーツケースを預ける。そして、リュックだけでトレドに行く。午後3時頃、バスでトレドに行く。初日は城壁内のホテルに泊まり、2泊目は城壁を見渡せる、あこがれの丘の上に建つパラドールに宿泊。
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1月7日 スケッチと歴史の散策を目的にトレド市内見学。午後4時頃、バスでパラドールに行く。
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1月8日 パラドール・トレドでゆっくりした。午後2時頃、電車で、マドリッド経由でセゴビヤに電車で行く。セゴビヤで1泊。
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1月9日 セゴビヤからマドリッドに戻る。マドリッドに2泊する。

1月10日 マドリッドから朝早く、バスでエスコリアーノに行く。午後2時頃マドリッドに戻る
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1月11日 午後6時頃まで市内観光。3時間後、マドリッドからカタール航空でマドリッドを発つ。
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1月12日 羽田に午後10時50分頃到着し、13日朝0時40分頃、自宅に着く。お風呂に入り、就寝したのは、朝、2時頃だった。4時間後、自宅を出て事務所に打合せの準備をして、新橋に行く。

昨年のパリ旅行よりは少しゆっくりできたが、ローマでゆっくりしたかった。来年はもう少しゆっくりできることを期待したい。

<私の最近の旅行の方法・教訓を2つ紹介>


今年からの両替の教訓は、日本で両替することをお薦めする
昨年のポルトガルでは、苦労して良いレート先を見付けた。しかし今回は、日本の飛行場の両替の窓口では、9700円ぐらいが70ユーロだった。マドリッドには、ソールの駅の周辺に、両替商が7-8カ所あるが、1万円が50から65ユーロだった。海外では、円の価値が低いことを感じた。

ホテル探しの方法

1)キャンセルが出来るホテルを予約すること。
以前は、アゴダだったが、キャンセルが出来ないホテルが多いため、ブッキング・ドット・コムこちらを利用している。ローマに行く予定をキャンセルしたり、現地で事前に調べて、気に入らなくて、キャンセル。

2)ホステルとホテルの違いを、今回の旅行で感じた。なるべくなら、ホテル3つ星を検索したい。
ホテルの検索は、まずグレード、ホステルもホテルも関係なく三ツ星以上、一泊1万円を目安で検索した。そして、交通、買い物に便利な中心地を条件に検索している。
ホステル3つ星は、ホテルの一つ星に相当するとのこと。ホステルは家庭的で良いのだが、この歳になると、やはり、ホテルの3つ星を検討に捜したいと思った。
ホステルは、個人オーナーが経営した宿泊場所。狭い小さなエレベーターに乗り、2階か3階に上がり、ブザーを鳴らして室内に入る。フロント、ロビーが無い。少しさびしい感じがする。今回それを特に感じて、現地で探して、ほぼ同額のホテルを探し予約くした。



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最中比較 小ざさ 空也 [食べること]

『最中 小ざさと空也』


急に甘いものを食べたくなることがある。昔はこんなことはなかった。歳のせいだろうか?

日比谷通り沿いに、設計監理している建物がある。打合せ後、急に甘いものが食べたくなった。
最近知り合った、関西から嫁に来て50~60年になるタバコ屋の女性に“近くに美味しいぜんざいとか、甘味屋さんがないですか?”と尋ねたら“この近くにはないですね。”の一言。ネットで、調べて“【空也】はどうですか?”と尋ねたら“アクセントを注意されたが、“そこは、最中が美味しいですよ。”とのこと。でも、近くに「切腹最中」の新正堂は?と一瞬思ったが。

銀座六丁目にある【空也】、銀座はここから近いので歩いて行くことにした。店を探して、びっくり!
小さな店、そして、品物はない。全て、予約、一週間後でないと品物が無い。そして、つぶの黒餡の一種類しかない(ブログを見るとその他いくつかの品物はあるようだ)。10日後、ひと箱10個の単位、10個以上だそうだ。ということで、びっくりしたので、ブログに残すことにした。

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それでは、【小ざさ】【空也】比較してみるかということにした。リスボンの《エッグタルト》を思い出した。

共通していることは、“食品添加剤、着色剤は一切使っていない”ことと、カード扱いしないこと(私には痛い)。そして、店の対応はどちらの店も丁寧だ。
そして、賞味期間もお買い上げ日より一週間とのこと。硬くなった最中は、おしるこにして、アドバイスもここに記載しておこう。

それでは、比較してみよう。


1:開業年数、歴史
【小さざ/おざさ】開業1951年 1坪の店年商3億円、武蔵野市では有名です。
【空也/くうや】開業明治17年、“吾輩は猫である”夏目漱石著の一説にも出てくる。

2:販売思想
全国発送をしている【小ざさ】、一方【空也】はこの店のみ。
参考【切腹最中】は、飛行場の販売店の支店から営業網は広い、カード利用もできる。



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3:包装と箱
茶系統の【小ざさ】とン無彩色、白の【空也】

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4:価格
【小ざさ】は、15個入りの小ざさの最中は1010円(税込)
【空也】10個入りの空也の最中は1030円(税込)
この金額の差は、吉祥寺の【小ざさ】と銀座の【空也】の場所柄だろうか?
参考/「切腹最中」一個200円

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5:大きさ
写真の通りで、食べやすい。二口ぐらいで食べられる、これぐらいが良いな~。

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6:つぶ餡
大粒の少し粗めのねりの【小さざ】、小粒の細かいねりの【空也】

7:餡の色
写真の通りで、赤っぽい【小ざさ】、赤みを押さえた色【空也】

さて食べ比べてみよう。先ず手で、二つに割ると、
8:
皮がぼろぼろと切れの悪い【小ざさ】、【空也】は餡と一緒にきれいに割れる。

総合的な感想

味はどちらも甘さを抑えているが、餡の粒の大きさで味わいが違う。友達と一緒に味わったが、彼は“練りの細かい【空也】より、【小ざさ】の粒の大きい方が、餡の味が伝わって好き”だとのこと。
【小ざさ】の説明書きには、“砂糖の甘味をならす、‥丸みの味”とのこと。
妻は【空也】は“甘くないから2~3個食べられそう”とのことでした。
【小ざさ】の味は、素朴な、田舎風な甘さ、ほうじ茶に合う味わい


【空也】の味は、洗礼された、都会な甘さで高級な苦みのある煎茶に合う味わい

僕は、吉祥寺の【小ざさ】が好き。事務所に近いし、いつでも手に入るのが良い。


他の最中の店が気になって、ネットを調べて行ったのが、【壺屋総本店】文京区本郷3丁目
寛永年間に開業、勝海舟の助言で、現在の壺屋があるそうだ。開業380年とのこと。
市民の味のわりには、一個170円。大きさは、他の二店と同じぐらいだ。

さて、甘さは、どうも妻と同意見で後に残る。小粒の小豆がしっかり残り、良い小豆を使っているのだろうか?
皮は小ざさのようにぼろぼろにはならないが、水飴の粘りがどうも好きになれない。

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香港 トラム 路面電車 愉しい  [建物と街散歩]

香港トラム存廃で熱論》
20151018 日経新聞
香港で110年以上にわたって市民の足として親しまれてきたトラム。その一部区間を廃止する計画案が持ち上がり、市民の間で議論を呼んでいる。‥計画では道路の3割を占めるトラム路線‥。香港島の東西13.5㌔を「チンチン」と鳴らしながら横断するトラムは1904年に開通。1日平均で約18万人が利用する。どこまで乗っても大人一律2.3香港ドル(約35円)の低運賃で、ほぼ同じ区間も走る地下鉄が開通した後も、市民生活に欠かせない公共交通機関として‥。(阿部真也著)


5年前に香港に行って、トラムのブログを書いた。
「トラムが走る」

朝、夕方の通勤時はラッシュはすごい、日本以上と思うほどの混み具合。電車もバスの停車駅が多いので、行き過ぎたと思えば次の駅で下りれば良い、それだけに安心して乗ることができる。でも、トラム同士がすれちがう時は、怖い。トラム間の離れがほとんどない。怖くてトラム間の寸法を測ることができなかった。
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香港の路面電車



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熊本散策2 石積み スケッチ [建物と街散歩]

2回目の熊本の散策》 2015 10月04日~10日


熊本の朝は遅い、明るくなるのは午前6時15分頃。
毎朝5時30分起き、6時前後にホテルを出て熊本城に行く。
坪井川を渡り、NHK熊本放送局の前を通る。

不開門のそばの好きな石積みを見ながら、棒庵坂に行く。
坂を後ろ向きに上る(地元の人が言うのには、普段使わない筋肉を使うので健康にいいそうだ)。


石積み2.JPG石積2JPG.JPG













北大手門から二の丸広場に行く。広場を一周する前に、二の丸の朝体操(6時30分から15分間)、に参加する。
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体操の前後のスケッチ、ホテルには7時30分前後に戻る。

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朝食を8時に済ませ、出勤。途中、好きな景観がある。出社8時40分前に、
またスケッチをする。
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縄文 と 弥生 [建物と街散歩]

登呂ムラ
静岡
登呂遺跡3.JPG


登呂遺跡の見学に行って、少しだけ縄文と弥生の違いが気になった。

登呂の遺跡は弥生時代後期の登呂ムラを地形を含めて復元したものだ。ここで見つかったものは、農耕作業としても遺跡。

今読んでいる今野敏“特殊防諜班 連続誘拐”に書かれている紀元前722年頃、つまり縄文時代に、サマリアを追われた一部のイスラエル人が行きついた日本、彼らの文化と関係するのかと思ったりした。
縄文時代 前14000年頃 – 前3世紀頃      弥生時代 前3世紀頃 – 後3世紀中頃


また、登呂博物館の人は、元はと言えばユダヤ教と関連していると言っていた。“イスラム、ユダヤの彼らは大陸を歩いて一日5㌔、40年をかけて大陸の地の果て、日本に渡ってきた‥”

さて、何が違うのか?登呂遺跡は弥生時代のものだ。縄文時代は1万年間続き、その後の弥生時代は600年。どのようにして分類して、どうして分かったのかは考えず、そのまま信じることにしよう。

現在2015年、弥生時代よりは長いが縄文に比べればわずかな年月だ。
東京オリンピック最初が1964年、次回は2020年。この時代の変化を考えても、すごいことだと思うが、当然ながら、昔は今ほどの変化、進化のスピードは遅かったのだろう。
しかし、文化、様式、道具などの変化はあったと思う。
日経新聞に、面白い連載記事があったので、切り取った。

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有田 伊万里 唐津 一回り [建物と街散歩]

20150912,13

『有田 伊万里 唐津 見学』

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12日に熊本から有田経由で、伊万里、唐津に行く。
有田か伊万里に行くか迷ったが、パンフレットと車窓から見る景色から伊万里に行くことに決めた。
伊万里に着いたが、バスの時間割は悪く、目的地の秘窯の里「大川内山」までは行きはタクシー。少し手前、関所、里の入り口で下りたので1500円。(後で地元の人が教えてくれたのだが、もう少し行くと1800円とピカッと変わるという説明が面白かった)帰りは、もう少し見学したかったが、バスを利用した。
4時間の見学時間は必要。10時30分~14時だった。一度は訪れたい場所だ。

1675年から廃藩置県1871年まで、佐賀鍋島藩の御用窯が置かれた。朝廷、将軍家などへ献上する高品位な焼き物、世界の至宝「鍋島」と呼ばれていた。www.imari-ookawachiyama.com/

三方を山に囲まれた“秘境”。伝統、技法を守るために、この地に藩を移した。ある武士、細工人が藩を脱走し、四国の戸部に逃げ、その後見つかり、打ち首になった。だから、戸部焼が、似ているとか言われた。また、岡山の備前焼についても、良くご存じだった(唐臼小屋を清掃していた人)。

東インド会社を通じて、有田の文化はヨーロッパに広がった。有田から伊万里経由の買い付けだそうだ。
有田の前は、中国の磁器、しかし戦争の勃発等で中国では入手できなくて、探していた。それが柿右衛門の有田の焼き物の買い付けに代わったそうだ。
徳川幕府の解体後からだろうか?今後少し歴史を調べ追記するつもり。


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唐臼小屋

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旧関所跡



「唐津見学」


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伊万里の見学が長くなり、唐津に着いたのは予定より遅く、午後5時頃になった。
当日は、暗い中を街をひと回り散策。唐津城の近くまで行ったが、暗くてあまり分からなかった。熊本城の美しさに比べれば、どちらもコンクリートだが。
 
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そして、目的の唐津焼は、お店を色々見て回った。店の人から、“窯を持つ作家は、お互い秘密として焼き物をしているから、店は点在している。”と言われ、作家のお店には行かなかった。

唐津焼の起源は諸説。室町時代末から桃山時代にかけて、岸岳城主波多氏の領地で焼かれたことが始まりとか。その後、豊臣秀吉が朝鮮陶工を連れて帰り、焼き物が広まったという。
唐津焼の絵唐津、朝鮮唐津は益子焼の濱田庄司の作品に似たものがあった。

濱田庄司(1894-1978)
 濱田庄司は、1894年に東京で生まれ、京都陶磁器試験場に入所、終生の友、河井寛次郎と学ぶ。 自身の作家活動の軌跡を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」。バーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動。
帰国後は、1924年に益子に移住。この時期には沖縄にも長期滞在し、多くの作品を残しています。
弟子に島岡達三


《唐津・呼子》


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「呼子」よぶこ 見学

駅のお土産コーナーでイカの“呼子”を知った。朝早く、再度街を見たがどうも、呼子の事が気になって、タクシーで行こうかとも思った。7時45分のバスで30分、9時25分のバスで30分。見学時間は1時間でもと思い実行。じゃけんの広島弁丸出し人とも会ったりして、一時の観光気分満喫。イカは美味しかった。

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