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矢内原伊作  ジャコメッティ [私の読書]

【矢内原伊作 ジャコメッティ】


ジャコ顔.jpg


この本を読んで、好きな会話がある。

「けさがた私はたいせつな発見をした。」せっせと筆を動かしながら彼は言う。「それは鼻の先端から始めなければならないということだ。顔の全ての部分は鼻の先端から始まって背後に向かう動きの中にある。鼻は一つのピラピッドだ。上から見たピラミッドさえ描くことさえできたら、他の部分は自然に出来上がるにちがいない。」それからまた、「きみの顔に似なければならない、しかし似なることを恐れてはならず、似せようとして描いてはいけないのだ。」‥

「私にとっては君の鼻がすでにピラミッドだ。君の顔がすでにスフィンクスだ。ああ、君の顔の中央のこの小さなピラミッドが幾らかでも正しく描けたらどんなに素晴らしいか。鼻だけだけではない、きみの顔のあらゆる部分が幾つものピラミッドから出来ている。それを捉えるのはほとんど不可能に思われる。」‥「きみ自身がピラミッドなのだから、何もピラミッドを見るためにエジプトまで行くことはないだろう。‥」

「明日まで、いや明後日まで待ってくれ。明後日まで続けてみて見込みがあればよし、もしも見込みが無いようなら放棄しよう。‥私はすべてを失うことになる。私は職業を変えなければならない。」

延々とモデルを何時間、何日間もモデルの矢内原氏とジャコメッティとの間でやり取りが続いた。しかし、完成はしないままに終わる。 恐らくすべての作品が彼が納得したものではないのだろう。
一方、全てが売られていく。どんな気持ちだったのだろうかと思う。

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アルベルト・ジャコメッティ 2 [私の読書]

新聞からの切り抜きで
「56年、哲学者・矢内原伊作氏が帰国直前にジャコメッティのモデルを務めることになり、その後4度渡仏して、のべ230日ほどポーズをとり続けた。」
これが気になって、三冊の本を、図書館から借りた。「矢内原伊作 ジャコメッティ」「アルバム∥ジャコメッティ」と 宇佐見英治著「見る人」ジャコメッティと矢内原

身内と友達に聞いても、アルベルト・ジャコメッティ知っている人はわずかだった。
イギリスのオークションで有名なサザビーズ・ロンドンで、2010年に『歩く男』1947年作、177.5cmのものが、91億円labaq.com/archives/51388571.html

私もそれほど知っているわけではないが、どうしてモデルをするようになったのか気になった。
それは、「アルバム∥ジャコメッティ」の中で、武田昭彦氏の解説文に書かれていた。

1954年~1956年パリに留学した。“ジャコメッティは前から会いたいと思っていた芸術家の一人だった。しかし有名人を用もないのに訪れてゆくことを僕は好まない” “十月末のある午後、、一つの画廊のガラス戸越しに、‥ジャコメッティの一枚の絵があるのが眼にとまった。‥画廊を通じて、手紙を送る。1週間ほどして、ジャコメッティから返事”その後、何度か会う。“10月4日、世話になったジャコメッティに帰国前の挨拶にとアトリエを訪ねる。そのとき、「うまく行くかどうかわからないが、明後日夕食に行く前に1時間くらい君の顔のデッサンをしよう」と言う。
10月6日、ジャコメッティは、はじめて矢内原をデッサンする。最初の一枚は30分で出来上がる。ジャコメッティは「美しい、すごい、すばらしい」などと嘆声を上げ、「こんな風にデッサンするのははじめてだ、どうしていいか分からない、しかし何とかなるだろう。もう1枚やってみようと」と言う。”この描写は、矢内原氏が書いた【矢内原伊作 ジャコメッティ】を読んでほしい。芸術家ジャコメッティと矢内原氏との苦闘が、生のような描写が読み取れる。

矢内原と同年の友人宇佐見英治著  『見る人』から、気になったこと。

1:“ジャコメッティは芸術家として、格別賢明な人であった。「それは論理的でない」というのが彼の口癖であった。見えるものを見える通りに描くことに生涯を傾けたこの画家にとっては、芸術はそれ自身が目的でなく、見るための手段であり、見ることは生きること、より深く見ることは、より自由により強く生きることであった。”

2:“私は彼の風貌がだんだん写真でみるジャコメッティの風貌に似てくるのを感じた。‥私はジャコメッティにそのことを話した、彫刻家はいった。「きみもそう思うかね。私も矢内原と私は似てきたと思う。しかし、それは不思議なことではなく当然ではなかろうか。毎日、見たり見られたりしているのだから、‥」

そうだよね。夫婦は本当に似てくる~
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私の読書 [私の読書]

伊東

作家 伊東潤は、日経新聞の夕刊 「」で、親しみを感じた。

本を読む前にまず作家の事を調べて、気に入れば ということから本選びをする。
そんなに本が好きと言うことでないからだろうか?
BMに10年勤務し、その後作家。私より12歳若い。
顔写真を見ると、何か悲愴感が漂っている。池井戸潤のような若さが感じられない。

「義烈千秋 天狗党西へ」を書店で買った。
でも途中で読むのを止めた。最後は、悲愴な結果に終わる。
水戸藩士・藤田小四郎の志、最後に一橋慶喜に裏切られるようだ。

やっぱり、映画も、小説もハッピーで終わるのが良い。そうでないと身体に良くない。
北方謙三の水滸伝も残り3巻で、読み続けるのを止めている。

健康寿命と言う言葉をご存じだろうか?日経夕刊 2014.10.05
人の健康に影響あるものは、アンケートによって1.「生きがい」2.「金銭面を含めたゆとり」3.「食事」4.「人間関係」。
健康診断の結果や運動などよりも精神的な部分が健康に影響すると考える人多いようです。‥ただ、生きがいを持てと言っても何をすればよいのかわからないと戸惑う人が多いでしょう。
大げさに考えず、まずは身近な楽しいと思えることに取り組み、それを続けることが大事です。 と結論づけている。
 まー60歳過ぎた私ですから、お許しを。

ということで、私の豊かな人生を過ごすためには、誰かさんみたいに、ハッピーに終わる読書をすること。
その点、池井戸潤さん、山本一力さん、百田尚樹さん、村上元三さん、佐伯泰英さん、沢木耕太郎さん達は好きだ。途中でやめている北方謙三さんも好きだが。

私に読書を教えてくれた、司馬遼太郎氏は忘れられない。

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カテリーナの旅支度 内田洋子 [私の読書]

『カテリーナの旅支度』 201310.10 著者 内田洋子

エッセイスト、内田洋子さんは、私にとってはじめての作家だ。1959年、友達が住んでいる神戸生まれだ。
代官山の蔦屋で、表紙とタイトルに魅かれて、手に取った本だ。
全体的には、イタリアでの楽しい生活を交えながら、イタリア人を表現している楽しい本だった。

内田さんは色んな街に住んでいるが、今住んでいるのはミラノ近郊だろうか?自分を控えに、こころを広く持ち、様々なイタリア人と上手く、楽しく付き合ったいる様子が良く分かった。

ミラノには、イタリアに行った40年前、ペルージャの次に住んだ街だ。イタリア人と1年間住んだ。おしゃれが上手い人たちが住む街だが、ミラノの第一印象は霧が深くて、寒い街だった。その後、フィレンツェに移り住んだ。フィレンツェが陽なら、ミラノは、陰の街だ。

でも、この本を読んで、またイタリアで生活をしたくなった。

二十の追想はサルデーニャ島から始まる。フェラーリ―とは想像できないと思いながら読み始めた。まだ行ったことがないサルデーニャ、10以上前にローマで観光しているときに入った店が、サルデーニャ生まれの人だった。気さくでやさしい素朴な人だった。一度は行ってみたいなーと思ったが、でも、遠いいから行くことはないだろう。

表題作の追想「カテリーナの旅支度」では、内田さんの優しさを特に感じた。普通なら、こんな人と一緒に行かないなーと思ったが、内田さんは本当にやさしい人なんですね。

年とると、人との付き合いの間口が狭くなる。でも、私は、人が恋しくて、つい電話をしてしまう性格だ。元浦辺設計のスタッフが67歳で亡くなったことを聞いた。親友が亡くなり、もうすぐ1年になる。

人との出会いは、内田さんのように大切にしたいものだと思うし、そうしたい。

60歳過ぎてからの出会いは、一層、人生を心豊かに生きていく方法なんだなー。


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ミラノ 朝のバールで 宮本映子 [私の読書]

宮本 映子著『ミラノ 朝のバールで』

久しぶりにイタリアでの生活、イタリア人のことを思い出す内容だった。
道路を尋ねた時の彼らの対応でも、けっして知らないとは言わず、間違った道案内も丁寧に教えてくれる。これは、フランスでも同じ経験をした。そして、バールでのイタリア人の振り舞いは、日本人のようにコーヒーや紅茶を座ってゆっくり味わうと言うことは滅多にしない。バールは彼らにとって本当に生活の一部で、本当に空気の如きものだ。その通りだ。
ミラノでは、小学生の娘・息子の登下校は、父親が送り迎えをする光景をよく見かけた。イタリアは経営者が多いし、通勤距離が短いしね。父親は日本のようにほとんど母親任せにはしない。イタリアでは「子供はわが魂のかけら」というそうだ。

僕の体験だが、ナポリの飛行場から目的地の市内のホテルまで、タクシーに乗ったときのこと。若いドライバーは、怖いぐらいスピードで走り、ホテルには早く着いた。早く着いたのだから、そして二人載せているのだからチップと運賃を二倍要求されたこともあった。フィレンツェの飛行場から市内まで、外人のカップルと私の3人でタクシーに同乗、支払う段階で、同乗者は、僕に運賃の半分要求した。でも僕は3人だから3分の1だと言い張った。ドライバーは、僕に賛同してくれた。僕は3分の1をドライバーに払って、別れた。外人は納得できず、その後も、ドライバーと論争していた。本当に人情味あふれる人たちだ。

電車・バスでの出来事、マーケットでの買い物の出来事、すべてがその通りだったーなーと懐かしくさせてくれた本だった。

尾道出身の宮本さんは、尾道に住む従妹に似た顔立ち、何か親しみを感じる。尾道は、小さい頃何度か訪れ、大人になってから3度は行っている。私の実家から車で1時間30分。静かな町、平地はほとんどなく、後方を山に囲まれて、山には“文学のこみち”(尾道は作家、林芙美子や志賀直哉、歌人、正岡子規など多くの文人墨客のゆかりの地)が懐かしい。

宮本さんは彼、イタリア人との出会いが、運命のいたずらか、彼女の一生を決めた。全く経済力がない2人が結婚。若いからできるのだろう。その後、三軒の店を構える彼はすばしい。外国での生活、相手が経済力のある人で良かった。ほんとうに運命の出会いはあるんだなー。

イタリアはこの国で出会う様々な色彩、かたち、音、匂い、味のすべてが常に五感を頼ませてくれる。

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もうひとつの空 有元利夫 [私の読書]

『もうひとつの空-日記と素描 有元利夫』
1946年に生まれ、“「星月夜」と題されたその絵は、糸杉のうねりに星がうずまいている深い青と黄色の単純で強烈な色彩と平面性の強い明確な画面で、小学生の僕をとりこにしました。”小学生でゴッホに夢中、
1976年4月画家を志した日から1984年の10月21日(日)までの日記が書かれている。

今日13.11.01、この本を読み終えた。彼の短い人生、1946年から1985年2月までの38年間の人生、こころの移り変わりを知りたくて読んだ。


1976年4月11日(日)
明日12日 会社を正式にやめて11日、芸大の講師になるか、無職に絵描きになるか決まる。5年先にはどうありたいか、という視点で、今を過ごしたい。

1984年10月21日(日)
展覧会も一応今回で一くぎり。これからは少しじっくり、仕事をしよう。展覧のためとか、何のためという気持をさっぱりとり払った所で仕事をしよう。…体調の方はハッキリしない。胆のうに何かあるのかも…。ここ一月ぐらい数値が上がりぎみで…。ここで、ゆっくりでもいいから、仕事がしたい。五年をひとくぎりにして二回、十年やれればある程度の作品を作れるのでは、などと言うきたいを持っている。

と綴られている。人が死をまじかにしたとき、仕事をしたいと思うのだ。芸術家ならではの思いなのだろうか、さて63歳の私は、やっぱりそのなのだろうか。

有元利夫さんは、本人が顔に似合わず「朝はバロック」バロック音楽が好き。
朝に限らず良く聞く。心臓の鼓動のように自然な通奏低音、さざ波のような装飾音、起きぬけにまず聞く音楽としてはこれ以上のものはないと思うのです。…
ということで、私も初めてバロック音楽のCDを買ってしまった。“バッハ(1685-1750)のヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ”

1979年1月2日安井賞特別賞受賞後
勉強を忘れずに、貧欲に力をつけよう。今年は33歳になる年だ。40歳まであと7年。35歳までに何か出来るかどうか!良い作品を造りたい。良い仕事をしたい。

6月12日良い絵を描くためには色々なことがことが必要だと思う。最も大切なことは、気ままな、勝手な時間をたくさん持つ事と思う。

1983年3月23日(木)
ムンクは、イメージや感覚に図像を与えた。人は始め、強いドラマ性にひかれる。が、それを本来的に強めるのは、色や型であることに気付く。そのうち、内にあるドラマや創造性は弱まり、色や形の強さが残る。

7月22日(金)腹を決めて、点数などどうでもいいから、こわせるだけこわして、徹底的にやりぬいた作品を造ろう。文句を言わせない作品!!
7月29日(水)
…ぼんやりとした大きなイメージは強いのだけれど、今日、今、何がしたいのか、どう描きたいのか判らない。こんな絵が描きたいというイメージがもう一つはっきりして来ない。…

この7月頃から体に異変が起きたのか、彼には残りに人生は分からない、彼の言葉にだんだんいら立ちと激しさが感じられる。

『見え隠れの美しさ』
見え隠れという言葉があるが、それは見え隠れの美しさである。ボディラインが見えるようでいて見えない。感じさせないようでいて感じさせる。計算された服がその美しさをつくり出すのである。そんな服を選びとるのもまた賢い人の分別なのだろう。

12月5日(月)
37歳になってからの二カ月余り、単純な描く意欲がフツフツしてくれないようだ。…不信、不安、だけが渦巻いてしまっている。自分を内側からつき動かしてくれるような(たとえそれが無知によるものであれ)強い意志、志向、好み、望みの不足!!
感性を洗ってみずみずしくしなければ、いろんな物、事、に本当の興味を持たないと。

1984年1月1日(日)ベットが空きしだい正月早々入院である。…

4月12日(木)行きづまり、落ち込んでいた状態からなんとか抜け出した。…初めて、自分が少し判ったような気もする。自分の分までしか描けないし、本質的に楽しくないことは出来ない。出来る事の中できびしさを失わない事だ。他のものと比べてもしょうがない。うらやんでも、それが、自分なのだ。これはあきらめでない。自信を込めた満足感なのだ。

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池井戸 潤 [私の読書]

『池井戸潤の作品』 以下の16冊を読んだ。
1.シャイロック子供たち
2.果つる底なき
3.架空通貨
4.鉄の骨
5.民王
6.かばん屋の相続
7.仇敵
8.銀行
9.銀行仕置人
10.株価暴落
11.ようこそわが家に
12.最終退行
13.銀行総務特命
14.オレたちバブル入行組
15.オレたち花のバブル組
16.下町ロケット
17.ルーズベルト・ゲーム
18.空飛ぶタイヤ上 下

『半沢直樹』(主演:堺雅人)TBSで池井戸潤作家を知った。
堺さんの演技はいつも難しい顔をして、あまり好きではないけど、この作品は楽しく見ることが出来た。彼の妻役の妻の花(上戸彩)に演技、役にもかなり救われているようだ。
世の中は、金問題がからんだドラマには非常に興味があるようだ。初回は視聴率なんと19%。
第5、6話と29%と断トツの人気。
NHKの大河ドラマを抜いた。私は金の問題は、あまり縁がないので執着心、興味がない。これも他界したが、両親のおかげだと、両親には感謝している。他局の次の『7つの会議』(NHK、主演:東山紀之)が楽しみだ。
しかし、7月13日楽しみにして見たが、ダラダラ観、感情の起伏が少なく、音楽など、今一だった。民放との違いかなー。(東山紀之主演のNHK土曜ドラマ『七つの会議』の第1話の平均視聴率は6.1%(ビデオリサーチ調べ 関東地区)

私の友人に銀行員は多くいた。みんな、定年前に退行した。首になった人、自ら辞めた人と様々だ。仕事を紹介してもらったりして、気のおけない友人達だ。今でも交際は続いているが、以前ほど定期的には会わなくなってしまった。
また、「いま、池井戸潤の作品があつい」武蔵野プレイスで、彼の小説を探したが、『シャイロックの子供たち』この一冊を除いて貸出し中。この小説も返却されたばかりだった。

さて、第一作目の『シャイロックの子供たち』(2006年1月31日)、
池井戸潤さんは、私よりひと回り若い。慶応大学卒、三菱銀行勤務7年間、後小説を志したが、最近はともかく、当初は大変な生活だったとか。銀行出身、或いは沢木耕太郎さんみたいに入社当日辞めた人もいるが、優秀な人が多い。

シャイロックってどういう意味なのでしょう?
“シェークスピアの“ベニスの商人”に登場する強欲なユダヤ人金貸しの名前から”

読み始めて、最初はまー金銭の使い込みか、何て軽く考えていてのか、つまらないなーと思いながら読んだ。
しかし、次第にもっと奥が深いことが分かり、今日読み終えた。
この小説は10話に別れているので、短編として読んでいた、途中ですべてが繋がっていることが分かり、少し焦った。解決を見ない物語、最初の作品で面白かった。

家では読書をしない、電車の中では物忘れをしないため、乗り過ごしをしないため、目まいがしないためと電車の読書は控えているので、喫茶店で読むしかなくなった。でも、仕事が忙しくてままならない。一日建築のことを忘れて、読書は30分はと考えているので、なかなか進まない。

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沢木耕太郎作品2 [私の読書]

沢木耕太郎著 作品4『凍』(2005年9月58歳)

先ずはタイトルは、沢木さんが考え悩んだだけはある、すばらしい、色んなことを想像させる。そして、現代的だ。自分が山に登っているような気持ちになるまでの文章表現には圧倒された。登山家でもない沢木氏は、どのようにして沢木御夫婦から…。かなりの信頼関係がないとここまでは表現できないのではと思う。

本を読む前、山野井泰史氏は何者か、山野井妙子氏も何者かも知らずに読み始めた。
山野井氏はエベレストなどといったメジャーな山よりも過酷な山、またシェルパなどの助けを必要としないアルパインスタイルという形でヒマラヤなど世界の山々に挑み、ヒマラヤのギャチュンカンへの登頂。世界的な登山家だ。

この登山でご主人は10本、奥さんは18本の指を切断、それでも生きていこうとする生命力、そして現在もなお登山家として生きていく御夫婦。そして、彼らを支える周囲の暖かいこころ。胸が熱くする思いで、読み終えた。
でも人生とは皮肉なものだ。トレーニング中にクマに襲われて、登山よりも重傷を受けるとは。

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沢木耕太郎作品1 [私の読書]

ノンフィクション作家沢木耕太郎著 2作目『テロルの決算』(1982年4月、35歳) 大宅ノンフィクション賞

『テロルの決算』は、すごい作品だと思った。また、沢木さんは、すごく情熱家の作家と思った。物語の後半には、頭の中が熱くなった。私には内容、描写が凄まじ過ぎる。ここまでよく調べ上げたなー。また、これを百田さんが執筆するとどんな構成にするだろうか?とも考えた。
前半よりも後半の方がウエイトが高い。文庫版のためのあとがきを、本文の中に組み込めば更に、内容が盛り上がる。私にも分かり易くなるとも思った。

昭和35年10月12日、日比谷公会堂で、61歳の社会党委員長浅沼稲次郎氏(岡山出身)が17歳の少年山口二矢氏に刺されて亡くなった。同県の私が小学4年生の時だ、父から聞いたことがあるような無いような気がする。刺された瞬間の写真が、日本最初のピューリッツアー賞“1961年 『浅沼社会党委員長の暗殺』” を受賞したのも、何か言葉で表せない、世界に大きな衝撃が走ったのだろう。www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120316/302653/

政治家の浅沼氏と学生の山口氏の生活、信条などを描いたものだが、この少年は、本当に政治のことを考えていたのだろうか?軽はずみの行動ではなかったのだろうか?と思わせる。私は政治に興味がないし、重いストーリーには、興味がわかない。沢木耕太郎の他の作品を読んでみよう。

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百田尚樹氏の後の読書 塩野七生 [私の読書]

私の読書の狭さ
建築の専門書関係以外で、漫画のごとく読める本には、なかなかぶつからない。
5~6年前、司馬遼太郎氏からはじまり、佐伯泰英氏そして山本一力氏、そして百田尚樹氏と読んだ。次の作家は見つかっていない。

塩野七生氏の「ローマ人の物語」「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」「神の代理人」も途中まで読んだ。これは街の歴史を知るために専門書の参考として抜粋しながら読んだ。

そして、著者塩野七生、エッセイ「想いの軌跡」1975~2012
私にとっては、期待外れ。ヨーロッパの歴史を知り尽くした彼女らしさが前面に出ていなくて残念でした。歴史家ではないのだが、彼女の解釈で歴史を、或いは過去の人たち紹介してくれる。そこが良かった。あんまり本音、愚痴を書かない方がいいのに、彼女らしくないと思った。いつ頃書かれたものかを考えながら読んだが、

過去の物の整理がついていないような、前文で説明しているように、ページ数にしては文庫本の価格だからしょうがないか

次は沢木耕太郎だ
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