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人との出会い [建物と街散歩]

『人との出会い』は愉しい

新しい人との出会いは、私の人生の中で楽しいことの大きな一つだ。

旅先で、言葉の障害はあるが、人との出会いほど楽しいことはない。バルセローナには、“王の広場”の近くに、行き付けのバールがある。バールの店長の女性に、必ず声を掛ける。先方は何と思っているか分からないが、警戒心が必要のない日本人の特権かもしれない。

広場でスケッチをし、開店8時前、朝一番に行く。そして、午後4時頃に行く。昨年は、お客さんをスケッチをして喜んでもらったなど、人との出会いは、こちらの態度一つだ。会話が嫌いな人もいるので、その時の一瞬の状況判断は必要。人づくりのノウハウだ。

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NTTでの仕事で、二人の同年の友と出逢った。K建設では、色んな人(寄書11人)に助けられ、業務をこなしてきた。これは、自分の特技?かもしれない。人間が好き、裏返して考えると、好き嫌いが激しい。

K建設で、施主に提出する資料作成には、施工関係の人達の協力なくして完成はしない。
私の上の人は、常に上から目線、上司にはぺこぺこ、YESManだが、下の私達には、幾度もの資料変更と、出来ないスケジュールを押し付ける。一度作業がノロいと言われ、切れ…。すぐに辞めようと思ったが、K建設の上の人から『ノロい人からノロいと言われれば、腹も立つだろうが…』などと、頼まれ辞められなかった。
私も人が良いと言うのか…。


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退社する前に、お世話になった若い人たちに寄せ書きをしてもらった。
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久しぶりのSYGK会20170713 [建物と街散歩]

久しぶりの『建築の散策 SYGK会』20170713

保険会社の地震調査で知り合った4人。
意気投合し、年に一回の建築・街散策を楽しむ会をすることにした。そして、今回は3回目。

先ずは佐藤氏の呼びかけで、初回は谷中銀座、二回目は安田氏の提案で、大磯の建築見学。そして、私の提案で武蔵美大から武蔵境と吉祥寺散策を楽しんだ。安田氏は50代、残り三人は60~70代。言いたい放題のうっぷん晴らし集まりである。 今回は急きょ、女性建築家の久坂さんの参加。

7月13日、10時に国分寺に集合。15分前に三人とも来ていたが、思った通りに、違う場所で待っていた。こんなに狭い場所でも、みんな思い込みがある歳。でも、ジャスト10時には顔合わせが出来たので良しとするか。
久しぶりに、2年ぶりだろうか、佐藤氏に会った。何となく雰囲気が違う、う…歳か?

西武バスに乗り、芦原義信氏の展示会の見学のために武蔵美大に行った。大学は住宅地域、文教地域(狭い道路を潜り抜けながら走るバス)にある。

まず、バスは大学前に停まる。最初に目に入ったのが、警備員集団。彼らの制服が気になったので尋ねたところ、警備会社の制服とか、環境・雰囲気を壊しているような気がした。そして、芦原氏はスケール感を大切(外部空間の構成)にしていたと思うが、大学らしくない、建物の乱立、芦原氏の設計のやりたい放題というのが、最初の印象。

芦原氏が亡くなった後を、大学の教え子が校舎の設計を監督している。そして、一度だけ図書館の設計・監理を外部(東大、ハーバード大の経歴に目がくらんだか)に頼んでいる。大学としての雰囲気、今までの建築手法を無視した商店建築デザイン設計。

マー日本人らしくてしょうがないか。アメリカ、ヨーロッパにしてこんな大学雰囲気はない。
1時間半足らずの見学、そして当社の事務所を見ていただき、井之頭公園近くのピザ屋さんに1時、井之頭公園見学、漫画家のまこと君の家を見て、2時30分までの集まりで、解散した。

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ポルトガルの魅力 [建物と街散歩]

私にとっての『ポルトガルの魅力』

私にとってのポルトガルの魅力は、ファドでもなくポートワインでもない。
ヨーロッパの中で一番“ときがゆっくり、ゆったりと刻まれてゆく”、そして、日々の生活が見える街。

2014年1月は、リスボンを中心に『60歳からの旅Ⅳ』、そして今回の『60歳からの旅Ⅶ』、ポ

ルトを中心に旅をした。そして、ギマランイスまで足を伸ばした。


はじめて、ポルトガルに行ったのは、40年前、入国にビザが必要だったころ、今の妻と二人でリスボンに行った。私は「広場の調査」のために行ったのだが、それば別にして。その頃、ホテル料金は今の1/10だった。
その後、2013年ラジオで大橋巨泉が“ポルトガルのイワシは美味しかった”。という言葉で、急にポルトガルの事
が思い出され、翌年2014年の誕生日に行った。久しぶりのリスボンは、昔の安いイメージはなかった。
そして、三回目のポルトガルの北側、ポルトを中心にした旅をした。イワシを食べてきた。


「ポルトガル」 

ポルトガルから伝わった言葉、(https://matome.naver.jp/odai/)ボタン、パン、じょうろなど、今も日本で使われている。それだけにポルトガルは、日本にとっては「遠くて、近い国」のイメージだろう。

ポルトガルの国土面積、92210km2(人口1050万人)は、イベリア半島の1/6の面積。日本の北海道よりは広く、ギリシャより小さい。農村面積は国土の7割を占める。

北部の山岳地帯、中部の台地地帯、南部の平野地帯からなる。中部以南は乾燥しており、高温だから農業に適していないそうだ。

2014年に訪れた、中部の首都のリスボン。街から1時間も走らないうちに山が見えてくる。岩肌の山、コルクの樹、羊、牛の放牧地が広がる。ほとんどが山地で平野がない。

そして、今回2017年の北部、第二の都市のポルトは、人口263000人。農業、水産業、食品、観光。ポートワインが有名だ。

ドウロ川が街を二分している。街は、平野が少なく、なだらかい大地の上に築かれている。降る建物が多く、震度7程度の地震があれば、壊れそうな建物がたくさん建っている。この傾斜した街、街を二分した川が、ポルトの街の魅力になり世界からの観光客が多い。

「ポルトガルの歴史」
農村面積は国土の7割を占めるような地形のため、文化、文明はほとんど、海から入ってきた。そのような小さな国が、過去の財産を今も残し、世界の観光都市として多くの観光客が訪れるのは、過去の築かれた権力、財宝の力素晴らしさがあるからだろう。

ポルトガル人は我が国を訪れた最初の国だ。
ヨーロッパの中の国としてでなく、世界の経済大国として栄えた。

この栄華は、半世紀だけの短い発展であったが、その後はブラジルに植民地帝国を築きと西アフリカの奴隷・食糧‥ブラジルが1821年に独立後も1974年、産業の活路を広げながら 1986年欧州共同体に加盟し、
ヨーロッパの一員として≪ポルトガルの歴史 金七紀男著≫

1755年11月1日 マグネチュード8.5,9の巨大地震があった。人口10人の都市、死者の数は1万人以上に達した。

ポルトガルの第二の都市『ポルト』
私の好きな街の一つとして入れたい。スケッチする場所はたくさんある。新しい建物も、すばらしい。
アズレージョでもなく、レロ・イ・イルマオン書店でもない。
ドウロ川に掛かる、連続する6本の橋の美しさは、世界一だろう。
その内、二本があのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルに関係している。

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「住まいのまちなみコンクール」旧山陽道『矢掛宿』 [建物と街散歩]

私の郷里『矢掛』が、国土交通大臣賞をもらった

何も自慢することが無いと思っていたのでうれしい。
両親も、唯一の友も他界して、ここ何年も家に帰っていない。何かさびしい。
今は長男の兄が全てを継ぎ、木材業を経営している。

私の家“矢掛の木材工場”と言えば、小田郡では誰でもが知っている。
昔は金貸し、金庫の中の貸付台帳を何冊も見た記憶がある。早くから、ステレオ、レコード、バイオリンとあったが、私は一つも身に付かなかった。

テレビも町内では、早くから買い、近くの人達が見に来ていた。1960年代、父が日産スカイラインを乗っていた。冷蔵庫も購入したのが早かった。お手伝いさんも二人いた。などなど思い出がある。
小学校・中学校の頃の思い出は、小田川の魚とり、自宅のピンポン、運動会の800m、マラソンランナーなどなど今思えば、楽しいことの方が多いかな‥‥。

父も亡くなり、母も五年後、あっという間に亡くなった。二人とも非常に元気だったのに、孫の介護・手術をしてもらって、両親も満足してあの世に行ったことだろう。


「住まいのまちなみコンクール」旧山陽道『矢掛宿』

審査員 日本建築士会連合名誉会長 藤本昌也

2013年度 第8回となる今回は国土交通大臣賞を「備中矢掛宿の街並みをよくする会」が受賞した。

『評価のポイント』 藤本昌也氏

矢掛の歴史は相当古く、生みの親が何世代にもわたっています。本陣・脇本陣がともに現存しているのは大変珍しいそうです。先ずはその歴史の厚さに注目し、誠んぞ先祖ががんばってつくってきた街並みを行政任せにせず、住民たちで費用も、知恵も出し合って保存、再生することで今の生活を豊かにしようという育ての親の自立した姿勢を高く評価したのです。また、「花いっぱい運動」や観光ボランティアの養成など様々な活動展開し、継続的に成果を上げています。 

 とかく矢掛のような歴史的地区では、まちを“凍結保存”してしまいがちです。それでは生活がなく、映画のセットになってしまう。しかし矢掛にはちゃんと人がいて、生活があります。「ハードではなくソフトが大切だ」と言われるゆえんです。しかし、一方で、ハードがしっかりと仕込まれていると、すまい手も街並みづくりに目覚めるものです。ハードも大切だと言いたいですね。以上

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石川直樹 『旅とはなにか』 [建物と街散歩]

異見 新言 『旅とはなにか』 写真家 石川直樹 日経200180412

旅とは1.jpg旅のかたちは時代で変わる。高校以来、世界を歩き、01年のチョモランマ登頂で当時の世界7大陸最高峰登頂の最年少記録を更新した石川直樹さんが「今ここにある」旅についてつづる。 北極であろうがヒマラヤであろうが、そこに行って何を 体験するするかが重要なのではない。大切なのは 心を揺さぶるな何かに向かい合っているか否かということではないだろうか。

本来の旅とは自分を変えるために行うものでも癒しのために行うものでもなく、自己と世界との関係を確かめ、身体を通して自分が生きている世界について知る方法ではなかったか。
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京都の愉しみ [建物と街散歩]

《京都の小旅行 2016年7月16日と17日》


2016年7月15日、仕事を終えて、夜行バスで京都に行った。
倉敷の木彫の大野さんに誘われるままに、祇園祭の鉾に乗れるとのことで京都に行ったが、もう暑くて観光どころでなく、一日ほとんどスタバにいる羽目になった。

翌日、大野氏と別れて深谷さんと食事をし、少し観光をした小旅行だった。


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長崎の旅 2016.5.2~5.4 実測とスケッチ [建物と街散歩]

《久しぶりの長崎旅行 2泊3日の旅》

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山に張り付くように建てられている住宅群、熊本のような地震があったら大変なことになる。
大丈夫なのだろうか、心配になる。

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「出島」


2016.3.2から2カ月間が過ぎた。

平和公園、出島、今井兼次の建築二十六聖人殉教地・記念館、オランダ坂、大浦天主堂、旧グラバー邸のイメージがあったが、坂本竜馬の亀山社中などたくさんの建物のイメージがある。食べ物は、カステラ。
もう一つ忘れてはいけないのは、いんげん豆。とにかく売られているいんげん豆が大きかった、これも気のせいか?)だが建築仲間が薦める観光先は軍艦島だった。

知識メモ:隠元禅師は(第4代興福寺の住職 1654年入山)、
数多くの事を日本に伝えた。有名な名前に禅師の名が付いたインゲン豆。さらに今は和食に分類する胡麻豆腐、胡麻あえ、けんちん汁。すいか、なし、れんこん、なすび、もやしなどの野菜果物、印鑑に木魚、ダイニングテーブル。そのほかにも煎茶や普茶料理(ふちゃりょうり/中国僧の精進料理)など、とにかく現代の日本で馴染み深いものばかりだ。

二日目は、止んだり、降ったりの大雨の一日だった。傘を差しての観光になったが、その時に立ち寄った亀山社中記念館、眼鏡橋のそばのお店の人との出会いは楽しかった。
そして、眼鏡橋が一番良かった。そして、その次に美しいのが桃渓橋 延宝7年(1679年)。
橋の名前は、河畔に多くの桃の木があったことに由来している。

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桃渓橋と興福寺


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「眼鏡橋」


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「桃渓橋のカンランの実測」

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香港 トラム 路面電車 愉しい  [建物と街散歩]

《香港トラム存廃で熱論》
20151018 日経新聞
香港で110年以上にわたって市民の足として親しまれてきたトラム。その一部区間を廃止する計画案が持ち上がり、市民の間で議論を呼んでいる。‥計画では道路の3割を占めるトラム路線‥。香港島の東西13.5㌔を「チンチン」と鳴らしながら横断するトラムは1904年に開通。1日平均で約18万人が利用する。どこまで乗っても大人一律2.3香港ドル(約35円)の低運賃で、ほぼ同じ区間も走る地下鉄が開通した後も、市民生活に欠かせない公共交通機関として‥。(阿部真也著)


5年前に香港に行って、トラムのブログを書いた。
「トラムが走る」

朝、夕方の通勤時はラッシュはすごい、日本以上と思うほどの混み具合。電車もバスの停車駅が多いので、行き過ぎたと思えば次の駅で下りれば良い、それだけに安心して乗ることができる。でも、トラム同士がすれちがう時は、怖い。トラム間の離れがほとんどない。怖くてトラム間の寸法を測ることができなかった。
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香港の路面電車



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熊本散策2 石積み スケッチ [建物と街散歩]

2回目の《熊本の散策》 2015 10月04日~10日


熊本の朝は遅い、明るくなるのは午前6時15分頃。
毎朝5時30分起き、6時前後にホテルを出て熊本城に行く。
坪井川を渡り、NHK熊本放送局の前を通る。

不開門のそばの好きな石積みを見ながら、棒庵坂に行く。
坂を後ろ向きに上る(地元の人が言うのには、普段使わない筋肉を使うので健康にいいそうだ)。


石積み2.JPG石積2JPG.JPG













北大手門から二の丸広場に行く。広場を一周する前に、二の丸の朝体操(6時30分から15分間)、に参加する。
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体操の前後のスケッチ、ホテルには7時30分前後に戻る。

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朝食を8時に済ませ、出勤。途中、好きな景観がある。出社8時40分前に、
またスケッチをする。
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縄文 と 弥生 [建物と街散歩]

登呂ムラ
静岡
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登呂遺跡の見学に行って、少しだけ縄文と弥生の違いが気になった。

登呂の遺跡は弥生時代後期の登呂ムラを地形を含めて復元したものだ。ここで見つかったものは、農耕作業としても遺跡。

今読んでいる今野敏“特殊防諜班 連続誘拐”に書かれている紀元前722年頃、つまり縄文時代に、サマリアを追われた一部のイスラエル人が行きついた日本、彼らの文化と関係するのかと思ったりした。
縄文時代 前14000年頃 – 前3世紀頃      弥生時代 前3世紀頃 – 後3世紀中頃


また、登呂博物館の人は、元はと言えばユダヤ教と関連していると言っていた。“イスラム、ユダヤの彼らは大陸を歩いて一日5㌔、40年をかけて大陸の地の果て、日本に渡ってきた‥”

さて、何が違うのか?登呂遺跡は弥生時代のものだ。縄文時代は1万年間続き、その後の弥生時代は600年。どのようにして分類して、どうして分かったのかは考えず、そのまま信じることにしよう。

現在2015年、弥生時代よりは長いが縄文に比べればわずかな年月だ。
東京オリンピック最初が1964年、次回は2020年。この時代の変化を考えても、すごいことだと思うが、当然ながら、昔は今ほどの変化、進化のスピードは遅かったのだろう。
しかし、文化、様式、道具などの変化はあったと思う。
日経新聞に、面白い連載記事があったので、切り取った。

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