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私の人生は70歳 [歳とること]

『わたしの人生は70歳』


私の人生は70歳と決めている。私が60歳になったときに決めた。そして、今また再度その意志は強くなった。

廻りの友人が亡くなる。2012年12月9日、郷里の友、彼がいるからこそ帰るのが楽しみでもあった。そして、今年になり、NFで派遣社員として採用されたときの担当、小林課長の亡くなるまでの姿を見てきた。顔に艶が無くなり、小さくなり、声もかけられないような姿になり、知らないうちに姿が見えなく…そして、亡くなったことを知った。54歳だった。そして、最近、非常にお世話になっていた人が亡くなった。

『わたしの人生は70歳』と決めた時には、仕事の裏付けのようなものがあったからこそかもしれないが、その時に2つだけは守ろうと決めたことがある。

1:夕食は妻とふたりでする。

2:年に一度は、自分への褒美に海外旅行をすること。

そのためにも、仕事を見付け働かねばということは当然わかっていることではある。
昨年、2016年3月8日に契約が破棄されたことを告げられた。

人生計画の収入が途絶えた時、妻から背中を押されて
4月1日から、N社の派遣社員になり、新しい環境で働いた。67歳の誕生日も、N社で向えた。
“大丈夫ですか?”と何度も言われながら、色々があったが、新しい環境で新しい設計監理の姿勢を
知ったことは、私の知識になったことは、大きなことだった。

「常に、学ぶことを忘れないように生きること」の大切さも教えられた。

詩人ルイ・アラゴンのいう「教えるとは共に希望を語ること。学ぶとは真実を胸に刻むこと」


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私にとっての『Stay hungry 、 Stay foolish』 [歳とること]

今日20161122 日曜日で、一つのお仕事はお休み。もう一つの仕事は、あります。
というわけで、休みのない私は、朝、5時10分に起き、パンと牛乳の朝食しながら、テレビを付けると「戦争を知らない子どもたち」“きたやまおさむのテレビの寺小屋の講座で『人の裏と表』、フ~ン なるほどと思いながら‥見て、朝一番のバスで自宅を出た。朝一番と言っても、午前5時52分のバス。

武蔵境に7時10分着、事務所に行く前に、街のこころよさ、私の立ち寄るお店、スタバによって1時間ばかり、“コロンビア”コーヒーを飲みながら、スタッフの若い女子たちと冗談を言いながら、図面を見たりしながらと、ときを過ぎし、事務所に来た。今日はいい天気だ。

私にとっての 『Stay hungry Stay foolish』

スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学で語ったスピーチ。最後に「Stay hungry, stay foolish」で締め‥

私にとってこの言葉の意味はなんだろうかと考えた。
歳をとるにしたがって、どうして?と思うことが少なくなる。また尋ねるのも恥ずかしくなるかな‥、人は人と思うし、色んな事は無視するとか、“日経夕刊20161022 子供の「なぜ」と格闘 無着成恭の言葉でく質問しない国は滅びる‥ >”を思い出した。

さて、私にとっての、この言葉は、“常に何かを求め、世の中の様々なことに興味を持ち続け、そして世の中の流れに身を任せて生きていくこと


成田 あゆみ/1970年東京生まれ。英日翻訳者、英語講師。の訳では以下の通り。
hungry:過去の成功を捨てること。身軽でいること。心から好きなことを見つけるまで立ち止まらないこと。自分には何もないと自覚すること。自分の心と直観に従うこと。
foolish:多数派の信じることに反してでも、自分の心に従うこと。成功を捨ててゼロからやり直すこと。本当に好きなことを見つけるまで立ち止まらないこと。








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『老いを忘れさせるもの』プロムナード 日経20161014 [歳とること]

『老いを忘れさせるもの』プロムナード 作家/東山 彰良

48歳になる作家ですら、老いについて考えている。

顔はどこまでかれてしぼむのだろうかとうんざり‥とか、年寄の価値は底なしの暴落を続けていく‥とか。

そして『イッツ・オンリー・ロックンロール』アメリカのジョークから
三歳のときに大切なことは、おしっこを漏らさないこと。十歳の時に大切なことは、友達をつくること。二十歳の時に大切なことは、上手にセックスをすること。三十歳の時に大切なことは、金を稼ぐこと。四十歳の時に大切なことは、金を稼ぐこと。五十歳の時に大切なことは、上手にセックスをすること。六十歳の時に大切なことは、友達をつくること。七十歳の時に大切なことは、おしっこを漏らさないこと。

そして、老いを食い止める方法はないが老いの忘れさせる手立ては『論語』のエピソードから、寝食も忘れて打ち込めるものがあれば、すくなくとも日々の老いの足音におびえて暮らさずにすむ。そして、作家として、文字を書き連ねているあいだ、私は永遠に歳をとることがない。‥筆を措く日が来たなら、‥私の老いは、たぶん、そこからはじまる。と締めくくっている。

“老いること”がそうならば、私も設計、建築の仕事をしなくなったら、そこから老いがはじまるのだろう。と言いたいところだが、常日頃【老いること】を考えている。
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アルベルトジャコメッティ [歳とること]

『アルベルト・ジャコメッティ「裸婦立像」』日経新聞20160615
「現代彫刻の方位」坂元暁美
ジャコメ1606.jpg

彫刻家アルベルト・ジャコメッティ(1901~66年)の作品には、不思議な魅力がある。彼の作品を見たのは、40年ぐらい前になるだろうか。

6月の日経で彼の作品の記事を見て、切抜きブログのメモしようと思ったぐらいだから、あの細い線のような全身像の魅力を感じたものが大きかったのだろう。歴史的な背景はともかくとして、どうして、針金のように細長い人間像のかたちになったのか?不思議だ。

“ジャコメッティの語った言葉で繰り返し出てくる言葉に「見えるものを見える通りに描く、つくる」
ということである。あるとき、全長2センチしかない美しい女性像について、小さい理由を聞かれて、「戦時中、最初は腕の長さくらいでつくりはじめたその全身像が、終わるときにいつもの親指の半分ぐらいになってしまい、何年も同じことが続いた」と語る。「自分がつくりかった彫刻は、街の通りで彼女をすこし離れてみたまさにその瞬間の見え方(ヴィジョン)を正確に実現することだったのだ。だから、彼女がその距離で離れていたときの大きさをこの彫刻にあたえていた」
さらに「小さくなって消えてしまうのをくい止めるために、ある日1メートルくらいの高さの彫刻をつくりはじめ、
何があっても1ミリも譲らないと決めた。‥そしてその通りになったのだが、こんどは幅が小さく、細く、細くなったっていった」と言う。
56年、哲学者・矢内原伊作氏が帰国直前にジャコメッティのモデルを務めることになり、その後4度渡仏して、のべ230日ほどポーズをとり続けた。

矢内原氏は1918年、愛媛県今治市生まれ、(父親は矢内原忠雄、東大総長)1941年京都大学卒業。

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老いの孤独も楽しく 小杉小二郎 [歳とること]

洋画家の小杉小二郎(72歳)
日本大学工業デザイン課を卒業後、中川一政に師事。70年に渡仏して30年間滞在、絵の修業に明け暮れる。

「毎日描いています。朝4時から6時までやって朝食をとってひと休みし、9時から午後4時まで描くんです。勤勉です。これが仕事だから『勤』には違いないけど、『勉』じゃなくて『遊』に近いかな。5,6歳からずっと描いていて、ちっとも飽きない。楽しいんです。」

【元気に生き抜くには、人との比較を一切やめる】

「それでも絵を描くには舞台の演出家のような、いろいろな段取りが要るので老いを意識する暇はありません。僕は風景や人物も描きますが、中心は静物。創作意欲を刺激する題材や小物を探し回って主役と脇役を決め、集中して絵筆を動かす。体力勝負の消耗戦。楽しくないと命を縮めます」

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武蔵境 三人の友達 [歳とること]

『三人の友達 武蔵境』


2015年6月7日、武蔵境の近くに事務所をもつ友人3人で、武蔵野茶房で食事をし、近くのスタバでコーヒーを飲んだ。情報交換というか、何をしているのかなど近況の話をして、憂さ晴らし。

ここ4年の間に、大切な友、池尻君、早崎君、宮崎君、立花君と他界した。自分だっていつまで生きているなどと考えながら、事務所、家に一人でこもっていると、将来先々のことをマイナーに考えがち。本当は酒を飲みながらなのだろうが。

三人とも、スタッフ有無はともかくとして、設計事務所の代表者だ。
それぞれ、時間に縛られるのでなく、自分の生活リズムに合わせて働いている。中央にいる、疲れ顔の私は、土曜日、日曜日、祝日は、ほとんど休むことなく、と言っても、いつも仕事をしているのではない。今、ブログを書いているよういに、事務所を書斎のように使っている。朝7時頃から夜の6時30分まで、事務所のあるこの武蔵境にいる。時間があると、スタバに行く。

ここに事務所を開設して、24年目になる。ここまで来ると、他人の作った建築を見る気はしない。参考のためには、見学するのだが。
若い頃と変わらないのは、美しいものを見ることだ。素直に見て、美しいもの。子供であったり、女性であったり、花であったり、先週の土曜日は、久しぶりに休日として、日本海を見に、寺泊までドライブした。

この次は、御殿場に行って、富士山をみようと思っている。
まあ、年金生活が出来ない私の場合は、仕事をして、一日一日を大切に生きていこうと思っている次第です。


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寺泊日帰り [歳とること]

昨日、念願の確認申請を提出した。このためにどんなに苦労したか?見解の違う、申請先の探しからはじまり、区役所に提出するつもりだったが、最後に期間が問題になり民間にと言うことになった。
大変な仕事は続くが、ここで、気分転換に、日帰り旅行をすることにした。
一泊旅行をしたかったが、“どこにそんな金が”と言われそうなので、日帰り。日本海を見に行くことにした。

また、どうして寺泊かというと、海、漁港、日帰りが出来る場所。そして、小平にある有形文化財の「村野邸」の途中、「寺泊市場」を知り、村野邸で食べた、市場から取寄せたお寿司が美味しかったので、寺泊に行くことにした。

「寺泊」 20150530

朝4時過ぎに起き、ゴロゴロしていたら出発が、5時頃になった。満杯、38リットリ給油した。結局は、この量を浪費したようだ。寺泊までのルート設定したら、270kmぐらいだった。

関越道を、ひたすら、新潟に向けて走った。140km/h、160km/hと飛ばしながら‥。でも眠たくって、2度のドライブイン、と30分の睡眠にパーキングしながらの走行だった。

途中、面白い地名を知った。小千谷、これをおぢやと読む。そう言えば、作家の佐伯さんの時代小説のシリーズもののも出ているような。そして、燕というなの地名。どちらも、後で分かったが、特産物で有名だそうだ。おぢやは織物(www.lalanet.gr.jp/nlpc/dento/T-8.html)、燕は金物(niigata-mono.com/blog/tag/)だそうだ。知っていれば、途中寄ったかもしれないなー。また、父からは“泊”まりは、漁港の地名に使われるとか、そして、またカニが有名だとのこと。

寺泊に着いたのは、9時40分頃だった。思ったよりこじんまりとした漁港と言うより、観光地だ。裏寂しいというか、表通りだけに店が並び、裏通りには観光地の雰囲気はない。
お店も品の無さは、日本独特の雰囲気だ。ポルトガルの漁港“ナザレ”とは違うなー。(musashinosekkei3.blog.so-net.ne.jp/2014-02-14)
お店の数は5~6軒程度、店の前で、焼き魚、焼き餅、焼きトウモロコシもあるのだが、どうも食欲がそそらない。
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海辺に向かうことにした。目的は日本海を見ることで~す。
林、広い駐車場とあり、海が見えない。海に向かって歩いた。店と海とが一体になっていなくて、漁港の雰囲気がない。

そして、砂広がる場所に出る。細かい砂を、踏みしめながら、ゆっくりと海の方向に向かう。広い日本海が広がっている。辺まで行った。暖かい海水だ。

4人の家族ずれ、子供と二人の組、夫婦、魚を釣っている人と、ゆっくりした雰囲気だ。波の音しか聞こえない。
11時過ぎになうと、恋人同志、子供ずれの家族、グループと増えてきた。

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仕事先の人にお土産を買って帰ろうと、思って探した。最低金額を500円に設定したお店と設定なしのお店、390円とかいろいろの価格設定したお店。お客もわかっているのだろうか、そちらの店の方がサービスも良かった。でも、どちらもカードが使えないのには困った。値切ったが、やっぱり駄目。
12時近くなったので、NHKの旅物語で紹介(カニラーメン)された2階の食堂に上がる。カニが余り好きじゃーないなどと、思いながら店に入ったが、ほとんどカニがメインの店だった。定食を食べた。

そして、新潟によって帰ろうと思いながら116号線を走ったが、結構な込み具合。途中で、止めて狭山に帰ることにした。帰りもやっぱり眠い、止まり止まりのドライブ。

スタバのあるドライブインに寄った。1時間ほど眠た。隣りの席からポルトガル語が聞こえてきて、目が覚めた。
若者二人の顔を見たら、どう見ても日本人、尋ねたらブラジルのポルトガル語だそうだ。
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事故もなく、無事に帰宅したのが、午後7時になってしまった。遅いのでか、最初の言葉が“事務所に寄ったの”だった。子供からは、“気を付けて帰ってね”の言葉だった。まー長く夫婦生活をしていると、こんあものか。
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久しぶりの松本 [歳とること]

「久しぶりの軽井沢」

2015年4月4日、実施設計を提出、・合見積依頼を終えて、久しぶりの休日。

しばらく車に乗っていない。汚れて、また車のバッテリーが上がりかけているために、軽井沢に行って吉村順三の別荘と、千住博の美術館に行って、朝のパン屋で朝食。

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霧が深くて何も見えなかったので、直ぐに帰った。午後1時前に自宅に着いた。それから、事務所に行った。帰りに、吉祥寺のスタバに寄った。

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好きな『松本城』
2015年4月19日(日)。松本城を見たくて、中央道を使って松本まで行った。自宅を5時20分、ちょっと道を間違って、3時間30分の旅だ。9時前の松本は、韓国、中国の観光客が目立った。これから東京に行くのだろうか?お昼近くになると日本人の観光客が中心だ。ヨーロッパの人もちらほら。

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松本城はいつ見ても美しい。スケッチは難しかった。

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散策して、色んな事に気が付いた。
前回は、外壁の材料探しの建築だけの見学だったためかほとんど廻りの事は気が付かなかった。
先ずは、松本の一本ねぎだ。太く短くて美味しそうだった。でも料理もしないのに、と妻に言われそう。150円だったが買わなかった。

そして、ボランティアで一人、街を掃除している50歳ぐらいの男の人、ドモリながら、松本の事をくわしく教えてくれた。そして、竹風堂の立派な苔の庭園、長野の造園家が維持管理をしているとのこと。
庭を見ながらの、で栗のおしるこを食べた。おしるこは一段と美味しかった。
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その後、近くのおいしい蕎麦屋を尋ねたら“野蕎麦屋”を教えてもらった。
“土日は、いつも行列。12時前だからまだ大丈夫かな”しかし、小雨の中、3~4人並んでいた。雨が降り出した。30-40分待った。やっと、お店に入った。10人程度の狭いお店。メニューは、ざるそばだけ。値段は、東京並みの1100円。この店では、珍しく、女性がそばを打っていた。美味しかった。

そして、松本城をもう一度見てと思ったら、1時30分過ぎになってしまった。1時に帰ろうと思ったが遅くなってしまった。
城の近くに、北野建設の支所があった。八王子辺りに3時前に着くようにと計画していたが、八王子JKで、事故があった。帰宅が遅れ、夕食に間に合わなかった。

竹風堂の栗が美味しかったので、栗のどら焼きと栗の金ツバを買った。これは今一だ。金つばは、花園の甘さ抑えの味が好きだ。

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毎年の4人会NTS [歳とること]

「同窓会」


今年で4回目だろうか?定例のように集まることにしたのは、何年前になるのだろうか?

60歳を過ぎると色んなことがある。子供の結婚、孫が出来たり、他界、年金生活など

先ずは、生きているかどうかの確認だなー。


周辺に何が起きったって何をすることもできない。でも、ただ顔を合わせるだけで、

何か昔に戻るような気がする。すぐ、40年前の大学の頃の話、若い頃の話がでる。

僕も今年は2人の友人が他界、その前の年は親友と初孫と。でも、今年は念願の男の孫が生まれた。

建築の仕事で、一番忙しい年にもなった。

人生、プラスマイナスゼロと考えればいいのかなー。



定例になってから、群馬から来る高橋君のことを考えて、浅草で会うことに決めた。初回は、タワーは工事中だった。

蕎麦屋に行き、お茶を飲み、ビールを飲み、また1年後を約束してお別れ。

そんな4人の健康な、おじさんの集まりだ。

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「老後破産の現実」を見て [歳とること]

NHKスペシャル「老後破産の現実」

“貴方、これ見た方が良いわよ。二人が生きている間は生活できるけど、一人になったら生活できないから、こうして生活保護を受けないと、生けていけないから ‥‥”、と妻から言われて、少し真剣に見てしまった。妻は年上だから先に亡くなると決めてかかっている。

男が一人残されると、部屋は汚い、女性の方は部屋はきれいに整理されているとか など話ながら見ていた。

そして、私の考えたことは“どうしてこうまでして、生きるのだろうか?”

「子供の成長を見るため、もうすぐ生まれるだろう孫を見るため」、
うーん、そんなことは考えていない。
「今の楽しみは、年1回の海外旅行、今のところ好きな建築の仕事がある」
から、仕事をして生活をするため ちょっと違うんだなー。
「自分の好きなことが出来ているからが一番大きいい」と思う。
ジャーこれが出来なくなる3~4年後、70歳になったら。どう考えているのだろうか?

このなかに登場した、息子とご主人を亡くした82歳になる女性は、「先にのことなど一度も考えたことはない」
と言っていた。今の自分もそうだ。

そう確かに、70歳過ぎて、妻が生きていなかったら、などと考えるとどうだろうか?毎日、小言を言われているわけだが、どうだろうかと考えてしまう。

今日、2014929月曜日、朝4時30分に一度、起きた。10時頃に寝たから、起きてもおかしなわけではないが、
頭が痛い、休もうと思い、再度起きたのが5時30分。
休もうと思ったのに、いつもより少し遅く6時7分のバスで会社に来てしまった。いつも、こんな調子で、事務所に来てしまっているわけだが。

昨日の事を、考えると陽より陰の方ばかりを考えてしまう。

若い頃は、お互い考えてもいなかったことなんだがなー。と思ったので、そのままブログに残すことにした。人生の一コマとして、
昨日、18作目になる池井戸潤の「空飛ぶタイヤ」を読み終えた、これも人生を考えさせてくれる、
まー生きていると何かある、死ぬと何もなくなる。感情が無くなる。悲しいとき、うれしいときの涙を流すこともなくなる。まーしばらくこのままで生きてみよう。
ラジオからシチリアの音楽が流れている。  
サー好きな仕事しよっと



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