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縄文 と 弥生 [建物と街散歩]

登呂ムラ
静岡
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登呂遺跡の見学に行って、少しだけ縄文と弥生の違いが気になった。

登呂の遺跡は弥生時代後期の登呂ムラを地形を含めて復元したものだ。ここで見つかったものは、農耕作業としても遺跡。

今読んでいる今野敏“特殊防諜班 連続誘拐”に書かれている紀元前722年頃、つまり縄文時代に、サマリアを追われた一部のイスラエル人が行きついた日本、彼らの文化と関係するのかと思ったりした。
縄文時代 前14000年頃 – 前3世紀頃      弥生時代 前3世紀頃 – 後3世紀中頃


また、登呂博物館の人は、元はと言えばユダヤ教と関連していると言っていた。“イスラム、ユダヤの彼らは大陸を歩いて一日5㌔、40年をかけて大陸の地の果て、日本に渡ってきた‥”

さて、何が違うのか?登呂遺跡は弥生時代のものだ。縄文時代は1万年間続き、その後の弥生時代は600年。どのようにして分類して、どうして分かったのかは考えず、そのまま信じることにしよう。

現在2015年、弥生時代よりは長いが縄文に比べればわずかな年月だ。
東京オリンピック最初が1964年、次回は2020年。この時代の変化を考えても、すごいことだと思うが、当然ながら、昔は今ほどの変化、進化のスピードは遅かったのだろう。
しかし、文化、様式、道具などの変化はあったと思う。
日経新聞に、面白い連載記事があったので、切り取った。

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有田 伊万里 唐津 一回り [建物と街散歩]

20150912,13

『有田 伊万里 唐津 見学』

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12日に熊本から有田経由で、伊万里、唐津に行く。
有田か伊万里に行くか迷ったが、パンフレットと車窓から見る景色から伊万里に行くことに決めた。
伊万里に着いたが、バスの時間割は悪く、目的地の秘窯の里「大川内山」までは行きはタクシー。少し手前、関所、里の入り口で下りたので1500円。(後で地元の人が教えてくれたのだが、もう少し行くと1800円とピカッと変わるという説明が面白かった)帰りは、もう少し見学したかったが、バスを利用した。
4時間の見学時間は必要。10時30分~14時だった。一度は訪れたい場所だ。

1675年から廃藩置県1871年まで、佐賀鍋島藩の御用窯が置かれた。朝廷、将軍家などへ献上する高品位な焼き物、世界の至宝「鍋島」と呼ばれていた。www.imari-ookawachiyama.com/

三方を山に囲まれた“秘境”。伝統、技法を守るために、この地に藩を移した。ある武士、細工人が藩を脱走し、四国の戸部に逃げ、その後見つかり、打ち首になった。だから、戸部焼が、似ているとか言われた。また、岡山の備前焼についても、良くご存じだった(唐臼小屋を清掃していた人)。

東インド会社を通じて、有田の文化はヨーロッパに広がった。有田から伊万里経由の買い付けだそうだ。
有田の前は、中国の磁器、しかし戦争の勃発等で中国では入手できなくて、探していた。それが柿右衛門の有田の焼き物の買い付けに代わったそうだ。
徳川幕府の解体後からだろうか?今後少し歴史を調べ追記するつもり。


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唐臼小屋

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旧関所跡



「唐津見学」


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伊万里の見学が長くなり、唐津に着いたのは予定より遅く、午後5時頃になった。
当日は、暗い中を街をひと回り散策。唐津城の近くまで行ったが、暗くてあまり分からなかった。熊本城の美しさに比べれば、どちらもコンクリートだが。
 
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そして、目的の唐津焼は、お店を色々見て回った。店の人から、“窯を持つ作家は、お互い秘密として焼き物をしているから、店は点在している。”と言われ、作家のお店には行かなかった。

唐津焼の起源は諸説。室町時代末から桃山時代にかけて、岸岳城主波多氏の領地で焼かれたことが始まりとか。その後、豊臣秀吉が朝鮮陶工を連れて帰り、焼き物が広まったという。
唐津焼の絵唐津、朝鮮唐津は益子焼の濱田庄司の作品に似たものがあった。

濱田庄司(1894-1978)
 濱田庄司は、1894年に東京で生まれ、京都の陶磁器試験場に入所、終生の友、河井寛次郎と学ぶ。 自身の作家活動の軌跡を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」。バーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動。
帰国後は、1924年に益子に移住。この時期には沖縄にも長期滞在し、多くの作品を残しています。
弟子に島岡達三


《唐津・呼子》


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「呼子」よぶこ 見学

駅のお土産コーナーでイカの“呼子”を知った。朝早く、再度街を見たがどうも、呼子の事が気になって、タクシーで行こうかとも思った。7時45分のバスで30分、9時25分のバスで30分。見学時間は1時間でもと思い実行。じゃけんの広島弁丸出し人とも会ったりして、一時の観光気分満喫。イカは美味しかった。

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忘れかけていた建築家 『白井晟一』 [建物と街散歩]

忘れかけていた建築家 『白井晟一』 石水館

染物家“芹沢銈介”  私の父と同じ名前だ。漢字は敬介と書くが、父も焼き物、掛け軸とが好きだった。

芹沢さんと言えば染物、倉敷の生活を思い出す。そして、陶芸家を思い出す。まず“濱田庄司” 、“河井寛次郎”

 “バーナード・リーチ”陶芸家。益子焼は、先週行った唐津焼のような肌合いだった。




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熊本の建築 前川国男 [建物と街散歩]

久し振りの前川国男の建物 「熊本県立美術館」  20150906

久しぶりに前川国男の作品を見に行った。埼玉浦和の建物をイメージしていたので、見なくていいかなと思っていた。しかし、友人に良かったとの一言で見学することにした。彼の言う通り、浦和とは全く違い、丁寧な設計だった。

アプローチからエントランスの広さとホールの空間の広さといい、全く自然な形で空間構成をされていた。

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ロビー


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手摺のデザイン


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熊本散策1 [建物と街散歩]

《久しぶりの熊本散策1》


「熊本と熊本城」

仕事の関係で、九州の熊本まできた。なかなか、個人的には訪れる機会がない地域だ。
九州には9月6日~13日、その内の5日間は仕事。9月6日,熊本入り。そして、9月13日に福岡から羽田に帰る。12日と13日の土曜日と日曜日は休養、観光にあてた。

初日は駅前ホテル、翌日からのホテルは繁華街地域でどこに行くのも便利場所だ。
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駅前の設計もコンペで決まったそうだ。


9月6日、初日のホテルは熊本の駅前、13時頃着く。ここから市内の商業中心地までは、路面電車15分ぐらい。ホテルに荷物を預け、松本城の次に好きな熊本城見学。そして、前川国男作品の熊本県立美術館の見学をした。

《熊本散策1》


熊本は生活しやすく、親しみの沸く街づくりだ。分かり易い街づくりも魅力の一つだ。
熊本市の人口75万人、海からの風を防ぐ金峰山など山と丘に囲まれた緑豊かな街。街には、どこからも見える、加藤清正が築いた熊本城。城内に鎮座する加藤神社は熊本発展の礎となっている加藤清正公は、熊本県人の心の中に愛称を持って、セイショコよばれている。

お城のあるこんもりとした丘と城下町の東西を二分する坪井川。そして、城下町のメインの通りを走る路面電車。色んなデザインされ、また路線内は車、バスよりは優先に走行、車が走っていたら脇によるようにと、ブザーを鳴らす。だから、非常に便利な交通機関(スイカ利用可)、運賃も一律150円で経済的


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翌日から5日間は、9時~17時まで仕事。朝6時前に起き、市内散策をし、食事をし、8時30分頃出勤。
そして、会社を17時に出て、それ以降は市内観光。
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お城以外に観光したところは、水前寺公園と本妙寺と熊本市現代美術館と桜の馬場。
湧湧座では、模型の馬に乗り、また石積みの経験が出来て愉しかった。
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水前寺公園は、一周するのに20分程度の小さな公園だった。今が日本人よりは外人に有名な場所。
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そして、本妙寺は加藤清正一族が葬られている。清正が立っている像、熊本城入口には、座っている像がある。ここからは熊本一円が見渡せる。但し本妙寺駅から歩いて、本妙寺に行く。ほぼ熊本城と同じ高さ。更に300段もの階段を上る。途中から正面に、加藤清正の像が見える。ここから見る熊本の景観は素晴らしい。
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周辺山に囲まれ、平地にポッコリと浮かび上がった丘の上に建つ「熊本城」




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清正像の台座は、城の形をしている


毎日、熊本城を見ながらの散策。どこからも見えるので愉しい。朝6時30分からは、二の丸広場と三の丸広場では、ラジオ体操、また陸上部の女子高校生がコーチの元練習、彼女たちの“おはようございます”という声は清々しく感じた。熊本の広場は、ここかもしれない。

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久しぶりの熊本、学生の時だから45年近くになる。
当時の熊本城はと聞かれると、全く覚えていない。平上と思っていたが、小高い山に築かれていた。

西南の役のとき 西郷隆盛が政府に負けたのではなく、熊本城に負けたとか

燃やさなくてもと思う。未だに工事は続いている。
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